2014年9月22日月曜日

見える

 
少し減ったフォロワーも肌をちょっと見せた写真をあげればすぐに元より増えて、

自分が、自分の体が消費対象でコンテンツであることが顕著に分かるし、


好きな人が悲しむ理由もよく分かる。


全部馬鹿馬鹿しいな、と思いました。



いま、女の子は
アイドルを自称する女の子も コスプレイヤーを自称する女の子も 歌い手も踊り手もみんなみんな


世に生きる女の子はみんな、消費対象でありコンテンツなのです。


それは悪いことでもなく 世間が回る上で当たり前のことで、経済が回る上で当たり前のことで、

人間、性、が存在する上で当たり前のことで、

多分はるか昔から女の子は 少女は使い古されて

多分女の子だけじゃない、誰かの目の前に立つ人、もしかしたら隣のあの人、あの子もかもしれない


誰を責めるでもなく、だれが悪いでもなく

ただただ当たり前で、ただただ馬鹿馬鹿しくて 

人間も欲もインターネットも現実社会もほんとに分かりやすく残酷だなあ、と感じているだけです。



分かりやすく記号化された性は コンテンツは

消費者側から一方的に与えられた記号としての役目を終えると、飽きられると、

人々の記憶から消し去られ、


「何者にもなれないまま」

捨てられるのです。


「何者にもなれなかった少女たち。」


記号として、コンテンツとして、女の子としての一生を終える少女たち。


消費される少女たちは、

削られ、擦り減り、これが永遠ではないと分かりながらも

自分の価値に無意識のうちに気づきながら

笑い、使われ、ちやほやされる優越感に知らず知らずのうちに浸り、


自分の消費期限を、自分の最後を分かりながら生きているのではないかと。




「何者にもなれなかった少女たち。」


常々そんなことを思いながら、


自分の描く少女像、かわいい、消費、コンテンツ、記号、死


そんなことにスポットを当てて年末12月後半当たりに展示会をやろうと考えています。


そうです、宣伝です。

宣伝のための前振りです、長い前振りですみません。


私が作り手として、初めてやる展示になると思います。


まだまだ先なので深夜の戯言の中にはさんでみました。

近くになればきちんと告知します。



いつもモデルとして撮っていただいてる写真家の香奈ちゃんの作品たちに私がグラフィックアートで手を加え。

空間自体も一緒にデザインするかもしれません。


同時に卒制で作る服も販売するかもしれません。
カタログなども作るかも。


その他もろもろ。


私が消費される側、コンテンツからの脱皮の第一歩になるかもしれません。


もちろん、消費される気持ちよさ、残酷さも知りながら。


そろそろ本格的に製作も走りだしそうになりながら


そんな展示が行われるまで、


気持ち良く 「私」というコンテンツを消費していっていただきたいと思います。


展示までに全てが嫌になって全て投げ出し消えないことを祈っていてください笑
(本当に。本当に最近死にたくて困っています。生きねば。)




今日も全ての女の子が幸せな夢を見れますように。



おやすみなさい。


2014年9月11日木曜日

am:3:22

どうしても自己評価が低く自分の顔が許せなかった私はアルバムにある自分が写った写真の自分の顔を全て黒く塗りつぶして母親をひどく悲しませ、心配させたことがあった。


どこに行っても1番にはなれなくてヒロインにはなれなくて輝けなくていつもどこでも一歩先の誰かを見ていた。
きっと1番になる必要なんてなかったはずなのに 誰かに認めてほしくて見て欲しくて それでしか自分の存在を確認できないと思ってたのだと思う。

そばにいる友達さえ、1枚のベールの向こうで動くまるでドラマを見ているような彼女はなにかストーリーの主人公で私は視聴者、

そんな風にいつもいつも私は第三者で生活、日常全てがなんとなく他人事だった。

きっと彼女たちが笑う舞台の上が現実で、観客席に取り残された自分は何かの間違い、いつか舞台の上に行ける階段が出てくるんだ、なんて思ってたけど、
観客席の1人の女の子を見るものも、声を聞くものもいなかった。


そんな私は観客席で1人、パソコンを開き
舞台の上との通信を試みた。





インターネットをしていなかったら出会えなかった人、声を聞いてくれなかった人、ほんとうにたくさん居る。

インターネットをしたことによって自分の身体、顔、生活、環境にコンプレックスをさらに感じることもたくさんあった。

好きになれた部分もある。こんなに捻くれたコンプレックスの塊の私を好きだと言ってくれる人もいること、


時間がたつにつれ自分の言葉が大きな力を持つようになったこと、


自分自身を励ます言葉が誰かを励ますこともあること、

まず書くこと、発信することは私に力を与えた。


今だに自分を好きになれたらさぞ強くなれるだろう、と毎日鬱屈してるけど

インターネットが私に力をくれたのは事実だと思う。


インターネットに自分の自撮り写真をあげるこ、裸の写真をあげるこ、生活を赤裸々に綴るこ、

それぞれ表面的に見れば自分が好きなナルシスト、おかしい、だなんて捉えられるけどけっして違う。

彼女は、彼女たちは複雑な自己のコンプレックスをどうにかして消化しようと、

自分の信じる「かわいい」を共有しようと、

人と繋がろうとしてるのだと思う。








インターネットの全ての女の子が幸せになることを祈っている。